アメリカにとってのスペースXと、イーロン・マスクにとってのスペースX
本日ファルコン9(18号機)の打ち上げが無事成功しました。ファルコン9はトルクメニスタン初の人工衛星を積んで宇宙に飛び立ちました。今回は対地同期軌道まで人工衛星を運ぶため燃料をフルで使う必要があったので、洋上プラットフォームへのロケット一段目の着地は試みられませんでした。
さて、今回の人工衛星の正式名称はTurkmenAlem52E/MonacoSATです。この人工衛星でトルクメニスタンは初めて宇宙へ足跡を残したことになります。トルクメニスタンという国は1991年に独立した後、長らく独裁者が支配していました。サパルムラト・ニヤゾフが初代大統領ですが、彼は超がつくほどの独裁体制を敷いて言論弾圧を繰り返しました。2006年にサパルムラト・ニヤゾフが死去し、副大統領だったグルバングル・ベルディムハメドフが大統領に就任。トルクメニスタンは多少なりともまともな国になりました。教育に力が入れられ、外国に向けて開かれた国になったのです。その一環として今回の人工衛星の打ち上げがあります。ロシアやインドに頼らずに、トルクメニスタンが自らの遠距離通信インフラを持つためです。このようにロケット打ち上げというのは国の状態や段階を象徴することもあるんですね。アメリカでも同じです。スペースXという会社はアメリカの歴史、とりわけ航空宇宙産業の変遷において象徴的な存在なのです。
アメリカにとってのスペースX
アメリカは非常に長期間ある体制で国を運営し続けました。それは第二次世界大戦産業モデルと呼ばれる体制です。名前の通り、第二次世界大戦中に形作られた体制。どういう体制か簡単に説明すると、政府主導で莫大な予算を使い、航空宇宙産業やその他の軍事へ転用可能な産業へ投資をするというモデルです。第二次世界大戦以前のアメリカは、戦争期間中を除き、軍事への公共投資はあまり積極的におこなっていませんでした。軍は民間で起きる技術革新に頼っていたのです。ところが第二次世界大戦が始まると、優先順位のトップに打倒ナチス・ドイツが上がってきます。当時ナチス・ドイツの軍事技術はとても優れていたため、アメリカは公共投資によってテクノロジーの発展を成し遂げるという新たな戦略を導入しました。アメリカ中の自動車工場は生産を止め、そのキャパシティーをすべて航空機や兵器生産に当てました。アメリカ政府は利用できるものはすべて利用したのです。まさに戦争に勝つために民間から産業を奪い取ったと言っても過言ではありません。ただ、政府による莫大な投資のおかげで目覚ましいテクノロジーの発展が起きたのも事実です。原子爆弾、レーダー、ジェットエンジン、弾道ミサイル、超音速航空機などは第二次世界大戦の遺産なのです。
1945年に第二次世界大戦が終戦を迎えます。しかし、第二次世界大戦が終わった後も、アメリカの産業が民間へ返されることはありませんでした。ずっと戦中と同じ体制が続くことになりました。ソビエト連邦が台頭してきたからです。冷戦ですね。ヒューズやゼネラル・エレクトリックといった企業はソ連の先を行くため新しい兵器の開発に邁進し、アメリカ政府は冷戦用へとアップデートされた第二次世界大戦産業モデルを継続させました。1957年にソ連がアメリカに先んじて世界初となる人工衛星スプートニク1号を打ち上げました。スプートニク・ショックです。危機感を抱いたアメリカ政府はソ連が独占していた宇宙開発に対抗するためNASAを設立。政府主導の宇宙開発競争が始まります。途方もない支出が数十年続き、当然のことながら負債は歴史的なレベルに到達しました。
1991年にソビエト連邦が崩壊。しかし、明確で現在的な危険がないにもかかわらず、ソ連が崩壊した後もこの体制は崩れることはありませんでした。そして、2001年9月11日にアメリカは新しい敵を見つけ出すに至ります。この時点でアメリカの負債は絶望的でした。さらにアメリカは中東でイラク戦争とアフガニスタン戦争を始めます。ただでさえ余裕のない状態だったアメリカ政府の負債はさらに悪化。しかし2008年まで政府による軍事転用可能な産業への投資が止むことはありませんでした。
2008年、ついに金融危機が起こります。その後の数年間アメリカを苦しめ続けることになる金融危機です。しかし、これで約70年間におよんだ第二次世界大戦産業モデルがようやく終わりました。この70年間、様々な産業、とくに航空宇宙産業は政府主導で研究開発がおこなわれてきました。そして、負債が膨らみ、経済危機を迎え、最終的に第二次世界大戦産業モデルは崩れました。
第二次世界大戦と冷戦はアメリカの産業構造をひっくり返したのです。軍事にコンバートできる産業には政府から惜しみない資金が投入される。自然な経済秩序とは言えません。アメリカが世界の産業を独占できた理由の1つに、アメリカが世界の産業キャパシティーを破壊したからというのがあります。しかし、徐々に世界の産業は復活していきました。そして、アメリカの浪費は止まらない。金融危機はいわば不可避のものでした。住宅市場がめちゃくちゃになり、税収は激減。債務返済が追い打ちをかけました。結果は支出の抑制。つまり第二次世界大戦産業モデルの崩壊でした。
アメリカは壮絶なる産みの苦しみを経て、ようやく第二次世界大戦前の健全な経済秩序へ戻ろうとしています。健全な経済秩序、資本主義によって効果的に資本が展開され、イノベーションが起こり、新たな価値が創造される。アメリカの産業とくに航空宇宙産業はこの新しくて古い環境へ適応していくでしょう。そして、政府は民間のイノベーションに頼るという元の姿に戻るはずです。
スペースX社はまさにこのアメリカ産業の変遷を象徴する企業です。スペースXは2001年の設立時より驚くべき低予算のロケット開発、打ち上げを実現してきました。民間企業でロケットを軌道まで打ち上げたのです。そして、NASAでは不可能だった大幅なコストダウンを達成し、非常に信頼性の高いロケットを作り上げました。世界で初めて民間で国際宇宙ステーションへの物資補給ミッションも達成しました。第二次世界大戦産業モデルの崩壊により予算を削減されたNASAに代わってミッションをこなすスペースX。時代の最先端をひた走る民間企業と言えます。スペースXの他にもMoon ExpressやSkybox Imaging(2014年にGoogleに買収されました)、Iridium Communicationsのような企業はどれも素晴らしい。明確な時代の変化を感じることができます。「新しい宇宙」が声高に叫ばれる昨今、アメリカの航空宇宙産業は健全な経済秩序によって導かれることでしょう。そして、第二次世界大戦産業モデルは歴史のゴミ箱へと消え去ることになるのです。
イーロン・マスクにとってのスペースX
アメリカ航空宇宙産業の現在を象徴するスペースX社ですが、創業者であるイーロン・マスクにとってはどのような企業なのでしょうか。ここに1つの仮説があります。イーロン・マスクは、スペースXを彼の他の企業つまりテスラモーターズやソーラーシティよりも重要視している、という説です。2013年にイーロン・マスクがテスラモーターズをGoogleに売却しようとしていたというニュースは世界中の人々を驚かせました。イーロン・マスクは大いなる自信家です。そのイーロン・マスクがテスラモーターズを売ろうとしていた。これは、自信家の彼ですらテスラモーターズの成功に確信が持てなかったということなのか。それとも、こう考えるべきでしょうか。当時、イーロン・マスクはある決断をしようとしていた。苦戦中のテスラモーターズで戦い続けるか、それともテスラモーターズを売却してスペースXに集中するべきか、という決断です。
イーロン・マスクのキャリアを眺めるとこのような傾向が見えてきます。気に入ったアイデアをピックアップし、成功するために必要なことをしっかりやる。これはテスラモーターズでもソーラーシティでも見られる彼の特徴です。しかし、スペースXだけは違いました。彼は失敗するだろうと思いながら事業をスタートしたのです。それに、テスラモーターズやソーラーシティの場合と異なり、イーロン・マスクはスペースXの単独創業者です。スペースXの設立当初からすべての責任を1人で背負ってきました。彼は宇宙開発の重要性を繰り返し語っています。イーロン・マスクの個人的な関心はずっとスペースXへ注がれていたと言えるでしょう。
イーロン・マスクという男は規制や既得権益と戦ってきた人間です。テスラモーターズやソーラーシティでも真っ向勝負を挑んできました。ところが、スペースXではアメリカ政府の経済制裁を上手く使いながら最大のライバルであるユナイテッドローンチアライアンス社と戦っています。真っ向勝負というより、使えるものはすべて使うという戦略。当時、ユナイテッドローンチアライアンス社はロシアからロケットエンジンの長期契約を結ぼうとしていました。そこでスペースXはそれはアメリカのロシアへの経済制裁を侵害するものだと申し出ました。契約はスペースXの目論見通り阻止されました。明らかに他の企業では見られなかった戦い方です。
テスラモーターズとソーラーシティがスペースXのためにあるという意見はさすがに行き過ぎでしょう。しかし、テスラモーターズのエネルギー効率の良いモーターやトランスポーテーションエンジニアリング、ソーラーシティの太陽エネルギー貯蔵と送電技術が宇宙開発に活かせるのは明白です。そして、Googleには彼の友人であるラリー・ペイジがいます。もしテスラモーターズの売却に、イーロン・マスクのテスラモーターズの技術へのアクセスを保証するという約束が取り付けられる予定だったとしたらどうでしょう。彼は時間と労力をかけずにテスラモーターズのテクノロジーをスペースXへ転用できるようになります。イーロン・マスクがテスラモーターズをAppleに売却したがっているという噂もこの文脈から説得力がでてきます。テスラモーターズの技術と同時に、Appleのエンジニアリングやデザイニングの力をロケットへ適用できる。そうイーロン・マスクが考えたとしてもおかしくはありません。
もちろんこれらはすべて推測の域を出ません。ただ、イーロン・マスクがスペースXで取っている戦略は、テスラモーターズやソーラーシティ、過去の彼の企業に比べてもかなり特殊で長期的です。イーロン・マスクにとってスペースXとは何なのか。アメリカの歴史の、そして世界の歴史の最先端にいるスペースXはこれから人類の宇宙開発に革命的な発展をもたらすことになるでしょう。その大きな流れの中にイーロン・マスク個人の想いを垣間見ることができるかもしれません。