イーロン・マスクが抱える皮肉 〜ロケットエンジン〜
先日、イーロン・マスクが経営するスペースX社が米軍の衛星打ち上げの(入札)資格を取得しました。これはイーロン・マスクとスペースXにとって大きな勝利です。米軍の衛星打ち上げ契約は長らくユナイテッド・ローンチ・アライアンス(ULA)が独占していました。スペースXはこの独占状態を打ち破るためにずっとアメリカ空軍と交渉を続けていたのです。そして、ついにその独占状態に食い込むことができました。歴史的な一歩です。イーロン・マスクとスペースXの大きな一歩を記念して、今回はスペースXのロケットエンジンを取り上げることにしましょう。
スペースXの目的
スペースXのロケットエンジンを語るには、最初にスペースXの目的について触れなければなりませんね。スペースXの目的は火星移住計画の実現です。そのためにはまず有人で火星に到達しなければいけません。そして、宇宙飛行士を火星へ送るには大きな重量を運べる巨大で効果的なロケットエンジンが必要になります。
2009年にNASAが火星へ向けたミッションデザイン(NASA Mars Design Reference Architecture)を発表しています。これは地球低軌道(LEO)で宇宙飛行士を火星へ送る乗り物を組み立てるプランでした。組み立てに必要な材料の重量は300トンにも及び、100トンの材料を3回の打ち上げで達成するとのことです。このような大きな重量を運べるロケットエンジンを作るのは大変です。例えば、国際宇宙ステーション(ISS)の重量は450トンで、すべての材料を送るまでに36回のスペースシャトルミッションと5回のプロトンロケット打ち上げを要しました。NASAの有人火星探査ミッションデザインで求められるロケットがいかに大きな重量を一度に運ばなければいけないのかがわかりますね。
ロケットが運ぶ積載物のことをペイロードと言います。スペースXは有人火星探査のためにできるだけ多くのペイロードを搭載できるロケットを開発しています。そして、鍵を握るのはロケットエンジンです。
多くのペイロードを搭載するには大きな推力とロケットの安定性が必要です。推力とはロケットの推進力つまり進む力です。安定性とはロケットの振動が少ないこと。どちらもロケットエンジン内部の流体のコントロールが非常に重要になります。流体とは液体や気体(プラズマも含みます)などの固体ではない連続体のことです。そこで、ロケットエンジン内部の流体に注目してお話をしていきたいと思います。
ロケットエンジン
簡単にロケットエンジンがどのように機能するのかご説明しましょう。ロケットエンジンは燃料を燃焼させることでガスを噴出して推力を得る仕組みです。ニュートンの第三法則ですね。ロケットの場合は下に向けてガスを噴射し、上に向けて進む。下に向けるガスの勢いが強いほど、上に進む力が強くなります。
ロケット燃料の燃焼には酸化剤が必要です。大気中の酸素が使えればいいのですが、宇宙には酸素がありません。なので、ロケットには酸化剤を積む必要があります。スペースXのロケットエンジンであるマーリンエンジンでは、液体酸素が酸化剤として使われています。そして、燃料はケロシン(液体)です。液体の燃料および酸化剤を推進剤として使うロケットを液体燃料ロケットと言います。なので、スペースXのロケットは液体燃料ロケットですね。ケロシンは石油から精製されます。灯油と同じと考えて構いません。ちなみに、ジェット機の燃料もケロシンです。
燃料と酸化剤はロケットエンジン内部の燃焼室へ送られ、そこで混合・燃焼されます。燃焼によって液体推進剤(燃料と酸化剤)が気体へ相転移し、爆発的に体積が増えます。この気体(ガス)の勢いを利用してロケットが推進するわけです。吹き出すガスの速度を上げることで、より大きな推力を得ることができます。液体や気体つまり流体のコントロールが重要なのがわかりますね。
大きな推力を得るために
ロケットエンジンでは吹き出すガスの速度(有効排気速度)を上げるために様々な工夫がされています。例えば、ガスはノズルから吹き出しますが、そのノズルはラバールノズルと呼ばれる特殊な形状をしています。メガホン2つの細いところ同士を繋ぎあわせたような形状です。先細ノズルと末広ノズルをくっつけた形。これはガスを加速させて超音速にするために必要な形状です。
メガホンの繋ぎ目のところをスロートと呼び、ノズル面積が最小になる位置です。ここで気体速度がマッハ1つまり音速になります。そして、末広がりのノズルを通ることで気体速度が超音速へ到達します。
これは気体速度が音速未満か音速以上かで加速・減速する流路形状が変わってくるからです。流路形状とはノズルの形ですね。先が細くなるノズルでは音速未満の気体は加速しますが、音速以上の気体は減速します。逆に、末広がりのノズルでは音速未満の気体は減速し、音速以上の気体は加速します。この特性を活かして気体を音速へ、さらに超音速へ導くのがラバールノズルなのです。
そして、気体の性質上、ノズルの膨張比を大きくすればさらに有効排気速度を上げることができます。ノズルの理想的な(有効排気速度をもっとも上げることができる)膨張比は燃焼室内の圧力と外の気圧との釣り合いによって決まります。つまり、ノズルの膨張比を上げるには燃焼室の圧力を高めればいいということです。なので、ロケットエンジンの燃焼室では高い圧力がキープされています。
ところが、燃焼室の圧力を高めると問題が発生します。燃料と酸化剤を燃焼室に送るのが大変になるのです。圧力の高いところへ送るには高いエネルギーが必要ですよね。そこで、マーリンエンジンでは強力なターボポンプが搭載されます。ターボポンプで燃料と酸化剤を燃焼室へ押し込むのです。ではどうやってポンプを駆動させるのでしょう。
燃料と酸化剤を主燃焼室とは別のガス発生器で燃焼させ、そこで発生した燃焼ガスを使ってターボポンプを駆動させるのです。マーリンエンジンではターボポンプ駆動に用いられた燃焼ガスは排出されます。つまり、推力には貢献しません。これをガス発生器サイクルと言います。
ちなみに、ターボポンプ駆動に使った燃焼ガスを推力へつなげる仕組みもあります。その名も二段燃焼サイクル。仕組みはこうです。まず、ターボポンプ駆動に使う燃料を不完全燃焼にとどめる。次に、発生した(不完全)燃焼ガスを主燃焼室に送り込んで再度燃焼(名前のとおり二段階の燃焼ですね)させることで、燃焼ガスを排出することなく、推力を効率的に生み出すことができます。スペースシャトルのエンジンは二段燃焼サイクルでした。二段燃焼サイクルと比べると、マーリンエンジンで採用しているガス発生器サイクルは比推力(燃焼効率)が劣ります。ただ、ガス発生器サイクルは低コストで開発・製造可能なところが魅力です。
ノズルから吹き出すガスの速度(有効排気速度)が上がれば、それだけ大きな推力を得ることができます。このように、有効排気速度を上げて大きな推力を得るために流体力学(気体力学)の見地からロケットエンジンの設計がおこなわれています。
安定性を高めるために
ロケットの安定性にも同様に流体のコントロールが必要です。燃焼の不安定性は圧力波と化学エネルギーの解放の組み合わせで起きますが、これがロケットエンジンの振動につながります。燃焼圧振動と呼ばれるものです。また、燃焼による燃焼室内の圧力の変動が、推進剤の供給に影響を与えて発生するポゴ効果も振動の原因になります。燃料供給の配管の振動ですが、エンジンや機体と共鳴することで致命的なレベルにまで到達することがあります。激しい振動を抑えることができなければ、エンジンがバラバラになったり、ペイロードが積めなくなったりします。
そこで、エンジンの設計においてはCFD(数値流体力学)を用いてエンジン内部の流体をコンピューターで解析・シミュレートすることになります。CFDソフトウェアを使うことでより安定性のあるロケットエンジン開発をおこなうことができるわけです。もちろん実際の試験も必要ですが、試験にはコストや時間がかかりますし、リスクもあります。なので、まずはシミュレーションで最適化させて試験回数を必要最小限にするのです。それに、試験ではエンジン内部の流体の動きを捉えるのは困難です。コンピューターでの解析・シミュレーションでは流体の動きを細部まで追うことができますね。こういう理由からエンジンの開発にはCFDソフトウェアが用いられます。
ロケットに限らず様々なエンジンでCFDソフトウェアが用いられますが、既存のCFDソフトウェアをロケットエンジンで使うのは限界があります。ロケットエンジンでは化学反応と物理的なプロセスがより複雑ですし、シミュレートしなければならないタイムスケールと物理的なサイズの幅が非常に大きいのです。
タイムスケールが大きいとは、ロケットエンジンの稼働時間(燃料の化学反応から移流、 音響振動そしてチャンバーレジデンスまで)が長い、つまりシミュレートする時間が長いということですね。
そして、物理的なサイズの幅も問題です。ロケットエンジン内の燃焼室は1メートルかそれ以上のサイズですが、乱流の渦の最小単位であるコルモゴロフスケールは1マイクロメーターです。乱流とは簡単に言ってしまえば乱れ(=渦)が生じる流れのことです。そして、これ以上小さくなると消えてなくなってしまう渦(乱流で発生するもっとも小さな渦)のサイズをコルモゴロフスケールと言います。CFDでは流体の解析・シミュレーションをおこないますが、とくにDNSという手法ではモデル化せずにすべての大きさの渦をシミュレートします。なので、巨大な燃焼室から極小サイズの渦まで物理的な幅の大きさに対応しなければいけません。このような大きなタイムスケールと物理的なサイズの幅が既存のCFDソフトウェアをロケットエンジンに適用させることを難しくしています。
しかも、スペースXは火星移住計画を目標としているため、火星から地球へ帰還することを念頭にロケットエンジンの開発をおこなっています。つまり、火星でのロケット打ち上げが必要ということです。そこで問題となるのがロケット燃料です。スペースXは燃料にケロシンを使っていますが、火星でケロシンを採取するのは現実的ではありません。では、ケロシンの代わりとなる燃料があるのでしょうか。
答えはメタン。メタンは単純な構造の炭化水素なので燃料としては理想的です。それに、メタンは火星の土に含まれる水や大気中の二酸化炭素から比較的容易に合成できます。
ただ、そうなるとメタンを燃料にしたロケットエンジンのシミュレーションも必要になります。メタンを燃料に効果的に機能するロケットエンジンのCFDソフトウェア。なおさら既存のCFDソフトウェアでは対応できません。前述のとおり、ジェットエンジンでは同じ燃料(ケロシン)を使っているのでまだCFDソフトウェア流用の望みはあるのでしょうが。
そこで、スペースXは複数のアカデミックな機関やサンディア国立研究所と協力しながら、独自のCFDソフトウェア開発に取り組んできました。既存のCFDソフトウェアが使えないなら自分たちで作ってしまおうというスペースXらしい発想です。
もちろん独自CFDソフトウェアの開発は困難を極めます。しかし、スペースXには優秀な人材がたくさんいます。エンジンの設計を指揮しているAdam Lichtlはカーネギーメロン大学を卒業後、モルガン・スタンレーで金融アナリストとして勤務していた異色の経歴の持ち主。CFD開発担当のStephen Jonesは元Nvidia職員です。Nvidiaとはアメリカの半導体メーカーで、コンピューターのグラフィック処理や演算処理の高速化を目的とするGPUの開発・販売をおこなっている企業です。このような才能がスペースXを支えているのです。ロケットエンジンに最適なCFDソフトウェアを実現させる。そして、エンジン内部の流体の動きを把握して、火星移住計画へ向けた理想的なロケットエンジンを開発する。スペースXには世界中から優秀な人材が集まり、エンジン性能を向上させるための試行錯誤が繰り返されています。
イーロン・マスクが抱える皮肉
いかがでしょうか。火星移住計画実現のためにスペースXが開発を進めるロケットエンジンについてご紹介しました。求められるのは大きな推力と安定性。ミッションをクリアするためにはエンジン内部の流体のコントロールが非常に重要だということを見てきました。スペースXはその肝となるCFDソフトウェアを独自に開発して、解析・シミュレーションそして実験を繰り返しながらより高機能なロケットエンジンの開発に取り組んでいます。
ずいぶん長くなりましたが、ここでようやくタイトルの「イーロン・マスクが抱える皮肉」が何なのかお伝えしたいと思います。自明のことなのですが、高機能ロケットエンジンの開発は巡り巡ってその他のエンジン性能の向上に貢献します。どのようなエンジンも基本的には燃料の燃焼によって発生した燃焼ガスの力で動力を生み出すことには変わらないからです。そして、そのなかには当然ガソリンを燃料にするガソリンエンジンも含まれます。
ご存知のとおり、イーロン・マスクはガソリン車から電気自動車へのシフトを訴え続けています。化石燃料依存の社会を脱却するためです。彼はテスラモーターズを立ち上げ、電気自動車の普及に邁進し、道路上のすべての自動車が電気自動車に変わることを願っています。ところが、優れたロケットエンジンの開発はガソリンエンジンの機能も向上させます。ガソリンエンジンの性能向上は、ガソリン車の普及につながりますね。つまり、スペースXがテスラモーターズのライバルを育てているようなものです。
これが、「イーロン・マスクが抱える皮肉」の正体です。イーロン・マスク自身もどこかのインタビューで皮肉っぽくこのことを嘆いていました。ただ、別にこれは解決不可能な矛盾というわけではありません。Well-to-Wheel(採掘から走行による消費まで)のエネルギー効率で考えれば、いくらガソリンエンジンが進化しても、理想的な電気自動車さえ実現できればテスラモーターズが負けるとは考えにくいのです。スペースXは理想的なロケットエンジンを実現して、テスラモーターズは理想的な電気自動車を実現する。ロケットは化石燃料を使って、自動車は電気を使う。両者を極めることで達成できるこの住み分けは、イーロン・マスクの化け物じみた能力をもってすれば実現可能なのではないかと期待してしまいますね。米軍との衛星打ち上げ契約の独占状態を打破し、着実に前進を続けるイーロン・マスク。その先には人類を火星へ移住させ、地球を化石燃料依存から脱却させるという壮大なゴールが待っています。楽しみで仕方ありません。
参考
The Space Review: The incredible, expendable Mars mission (page 1)