光の「波」と「粒子」の二重性とソーラーパネル 〜光電効果と二重スリット実験〜
一ヶ月ほど前かと思いますが、有名な学術雑誌であるネイチャーに掲載された衝撃的な論文が話題になりました。光の「波」と「粒子」の二重性をついに可視化できたといった内容で、このニュースは世界中を駆け巡り、世間は沸き立ちました。
本当に興味深い話です。ちょうどイーロン・マスクが会長を務めるソーラーシティについて書こうと思っていたところだったので、ソーラーパネルの発電の仕組みと関係しますし、ついでに一緒に記事にしてしまおうと思います。
光の「波」と「粒子」の二重性についての論文
まずこちらがどういう内容なのか、ものすごく簡単に説明しますね。光を含む量子と呼ばれる極小の物質は「波」と「粒子」という2つの性質を持っています。「粒子」とは石ころや砂などのように1個、2個と数えられるもの。「波」とは水の波や音の波のように、個数は数えることができません。この2つの性質を同時に持っている光は「波」であり「粒子」なのです。よくわからないですよね。まさにその「よくわからない」性質を可視化できたというので世界中が驚いたわけです。
実験内容も簡単にご紹介します。とても細い金属のワイヤーを用意し、そのワイヤーに光を当てます。すると光は「波」の性質を持っているのでワイヤーを伝って移動します。光の「波」は反対側から伝ってきた光の「波」とぶつかり、その場所にとどまって波打ちます。ギターの弦のようなものです。この光の「波」を見てみようという実験です。
光を見るにはどうしたらいいでしょうか。普通僕らは光を使って物を見ますね。今回は光自体を見たいので、光の代わりに電子を使います。電子とは原子のなかにあるとても小さな物質です。なぜ電子を使うかというと、電子は光の「粒子」を吸収してエネルギーに変える性質があるからです。
なんとなくわかりましたか。つまりこういうことです。ワイヤーで波打っている光に向けて、電子を飛ばします。電子は光の「波」の近くを通るときに光の「粒子」を吸収することでエネルギーを得て加速します。この加速(電子が受けとったエネルギー)をとても高性能な顕微鏡でとらえることで、光の「波」の姿を見ることができるのです。電子が光の「粒子」を吸収しているので、これを見るということは同時に光の「粒子」の姿も見ていることになります。このようにして、光の「波」と「粒子」、両方の姿を同時に見ることができたってわけです。
とても画期的な実験ですね。これでまた一歩光の正体に近づけたのではないでしょうか。一点、お伝えしておきたいのは、今回の論文の取りあげられ方に反論があるということです。光の「波」と「粒子」の姿を可視化したということですが、じつは「波」と「粒子」は別々な光だったのではないかという意見。ワイヤーに当てられた光は「粒子」1個だけではなくて大量の光です。そうなると、大量の光のなかで、「波」として振る舞った光と、「粒子」として振る舞った光が別々だったという可能性があるんですね。ある光は「波」、ある光は「粒子」ってことです。であれば、同じ光が「波」であり「粒子」である姿を可視化したことにはなりません。様々な意見はありますが、とりあえず世間を賑わせた実験をものすごく簡単に説明するとこんな感じです。
ソーラーパネルの発電の仕組み
さて、上記の画期的な実験とソーラーパネルがどういう関係があるのかということですが、ソーラーパネルの発電の仕組みのところで関わってきます。
これもまたできるだけシンプルに説明しますね。ソーラーパネルは太陽の光を電気に変えます。電気は電流と言ってもいいですが、電流とは電子が流れることです。勘の良い方はもうお気づきですかね。前述したとおり、電子は光の「粒子」をエネルギーにして加速することができます。通常、電子は原子のなかにあって飛び出すことはできませんが、光を当てることによって電子にエネルギーを与え、原子から解放させてあげることができるのです。すると、電子の移動が起こり、電流となるわけですね。僕らはこの電気を使って家電製品などを利用することができます。これがソーラーパネルの発電の仕組みです。
もう少しだけ詳しくお話しましょう。金属に光を当てると電子が飛び出すことを光電効果と言います。ただ、電子が金属の外に飛び出してしまうと発電につながらないので、飛び出す電子を金属内部に留める必要があります。そこで金属の代わりに半導体を用いるわけです。半導体の代表格はシリコンですね。
ソーラーパネルはたくさんの太陽電池の集合体ですが、太陽電池は2つの半導体をくっつけて作られています。つまり2つの層があるわけです。最初の層は電子をたくさん持っているため、飽和状態のようなもので、光が当たれば電子が次の層へ移動する準備ができています。次の層では逆に電子がいくつか取り除かれていて、電子を受け取る準備ができています。太陽光が最初の層にあたると、待ってましたとばかりに準備万端の電子が次の層に移動します。電子の移動はさらなる電子の移動を引き起こし、この連鎖反応が電流を生み出します。こういう仕掛けで光電効果をうまく利用して発電しているわけです。
仕組みを理解するとよくわかると思いますが、太陽光発電は非常にクリーンで持続的なんですね。たとえば火力発電では化石燃料を燃やすことで水蒸気を発生させてタービンを回し発電しますが、その過程でCO2を排出しますし、なにしろ化石燃料の埋蔵量に限界があります。太陽光発電では太陽さえあれば発電し続けることができるので、必要なのは初期の設備とメンテナンスくらいです。
イーロン・マスクは太陽光発電の本質的な優位性に目をつけ、ソーラーシティを立ち上げました。ソーラーシティはソーラーパネルを生産し、個人の住宅などへの設置もおこなっています。じつは、イーロン・マスクの事業(スペースX、テスラモーターズ、ソーラーシティ)のうち、もっとも収益化が見込めるのはソーラーシティだとイーロン・マスク本人が語っていました。そのぐらい魅力的な企業なのですが、ロケットや電気自動車にくらべてソーラーパネルが地味なのか、あまりメディアで取りあげられることがないのが残念です。
いかがでしょうか。光の「波」と「粒子」の二重性についての最新の論文と、ソーラーパネルの発電の仕組みについてご理解いただけたなら嬉しいです。
さて、ここからはちょっとディープな話になるので、興味のある方だけおつきあいください。テーマは光の「波」と「粒子」の二重性という概念の背景と意味です。どういう歴史的過程で人類が光の二重性の発見に至り、光の二重性がどういう意味を持つのかを見ていきたいと思います。
光の「波」と「粒子」の二重性の背景と意味
光は「波」
人類は長い間、光を「波」だと考えてきました。この世界はエーテルというもので満たされていて、光はエーテルの波であるという理論です。エーテルとは仮想の媒体です。何だかよくわからないけど、とりあえず光が伝わっていくからにはそういうものがあるだろうというだけの話です。水面に波が起きるのは、水があるからですね。つまり水の代わりがエーテルだと考えられていたわけです。
じつは万有引力を発見したニュートンは光を「粒子」だと考えていたのですが、赤外線や紫外線が発見され、光の干渉実験がおこなわれた段階で完全に「波」派が支配的になりました。赤外線や紫外線はご存知ですよね。赤外線は波長の長い光のことで、紫外線は波長の短い光です。波長があるのだからもう完全に「波」ですし、干渉実験で光同士が干渉し合うことが確認されたので、「粒子」派は大敗北しました。干渉とは「波」同士がぶつかり山と谷の重なり合い次第で山が大きくなったり、逆に打ち消されたりすることです。光を用いた実験でこの現象が確認されたので、光は「波」だという結論に落ち着いたわけです。19世紀までの話です。
光電効果
ところが、19世紀にはすでに光を「波」だとすると説明できない現象も確認されていました。それが前述した光電効果です。光を金属に当てると電子が飛び出すってやつですね。光電効果の実験では、以下の事実がわかっていました。
- 振動数の大きい光(エネルギーの大きい光。紫外線など)を当てる
→飛び出す電子のエネルギーが高いが、電子の数は変化なし。 - より明るい光を当てる
→たくさんの電子が飛び出すが、電子のエネルギーは変化なし。
この実験結果は光が「波」だとしたらとても容認できないことなのです。「波」には波長と振幅があります。「波」の密集ぐあいが波長で、「波」の高さが振幅です。振動数の大きい光とは波長が短い(波が密集している)光のことで、明るい光とは振幅の大きな光のことです。
わかりやすいように喩え話をしましょう。水面に浮かぶ葉っぱの上にBB弾が山盛り乗っていると考えてみてください。葉っぱの上のBB弾を波で揺すって落とすイメージです。対応関係は以下のとおり。
- 葉っぱ→金属
- BB弾→電子
- 波→光
- 波の波長→光の種類(赤外線や紫外線など)
- 波の振幅→光の明るさ
- BB弾が飛び出す勢い→電子のエネルギー
- 落ちるBB弾の量→電子の量
普通、多くのBB弾を落としたり、勢い良くBB弾を落としたりするためには高い波を起こしますよね。高い波を起こすと飛び出すBB弾の量も勢いも増えます。波長の長い短いはあまり関係がないはずです。
ところが、光電効果では波長の短い波だとBB弾が勢い良く飛び出し、落っこちるBB弾の量は変わりませんでした。そして、高い波だと大量のBB弾が落っこちますが、BB弾の勢いは変わらないという結果になったのです。波長がBB弾に明確な影響を与えるという摩訶不思議な実験結果でした。
19世紀では解決できなかった光電効果ですが、20世紀に入り、この謎を解明する天才が現れます。かの有名なアインシュタインです。アインシュタインはやはり光は「粒子」としての性質を持つと考えました。これを光量子仮説と言います。
では光量子仮説から見ていくとどうなるのか。振動数(エネルギー)が大きいとは光の「粒子」である光量子の持つエネルギーが大きいということ。明るい光とは光量子の数が多いことと考えます。こう考えると光電効果の謎が簡単に解決してしまうのです。
- 振動数(エネルギー)の大きい光を当てる
→エネルギーの高い(勢いのある)光量子がぶつかるから、エネルギーの高い(勢いのある)電子が飛び出す。光量子の量は変わらないので、飛び出す電子の量も変わらない。 - より明るい光を当てる
→明るいとは光量子の量が多いということなので、それだけたくさんの光量子が電子にぶつかり、たくさんの電子が飛び出す。ただし光量子が持つエネルギーは変わらないので、飛び出す電子のエネルギーも変わらない。
どうでしょう。すんなり納得できるのではないでしょうか。つまり光は「粒子」だということです。しかし、光には「波」としての性質があることはすでに確立された事実であり、また常識でした。当時、アインシュタインの光量子仮説は大胆すぎる仮説。しかし実験結果から考えると光量子仮説ですべてが丸く収まるのです。そして光量子仮説はその後実験によって見事証明され、アインシュタインは光量子仮説でノーベル賞を取りました(相対性理論ではノーベル賞を取っていません)。アインシュタインは正しかったのです。アインシュタインってやっぱりすごいですね。
ところで、冒頭でご紹介した光の二重性を可視化したという論文の説明で、電子が光の「粒子」を吸収している=光の「粒子」の姿を見る、とさらっと言いました。ここをしっかり説明するには、光電効果とアインシュタインの光量子仮説について説明する必要があったので深く述べなかったのです。ここまで読んだ方は腑に落ちるのではないでしょうか。光電効果から、光による電子の加速を確認する=光が「粒子」であることを確認する、ということになりますよね。
二重スリット実験
アインシュタインによって、光には「粒子」の性質があることがわかりました。しかし光に「波」の性質があるのも事実。結果として、光は「波」としても振る舞うし、「粒子」としても振る舞うということになってしまいます。この常識外の性質はやはり常識外の現象を引き起こしました。どんな現象でしょう。二重スリット実験と呼ばれる実験によって、僕らは光の常識外の振る舞いを確認することができます。
これからご説明する二重スリット実験は「もっとも美しい実験」とも言われる超有名な実験で、聞いたことがあるという方も多いかもしれません。光の「波」と「粒子」の二重性に関する実験で、この実験によってついに光の二重性が統合的に実証されたのです。そして、光の二重性の本当の意味もわかってきました。さっそく見ていきましょう。
まずは前提から。二重スリット実験のスリットとは切れ込みのことで、それが2本あるわけです。壁に2本の縦長の穴が空いていると思ってください。その壁に向かって電子を放ち、壁の向こう側に用意されたバックスクリーンに衝突する電子の痕跡がどういう形をとるのかを確認するのが二重スリット実験の目的です。
補足説明になりますが、「波」と「粒子」という2つの性質を持つ物質を量子と言います。そして量子は光だけではなく、電子や原子など意外にたくさんあります。なので、二重スリット実験では電子が使われますが、光でも同じ結果だと思っていただいて構いません。
二重スリット実験の内容を詳しく説明をしますね。「粒子」はその性質上、2つのスリットどちから片方だけを通ります。そして「波」はその性質上、両方のスリットを同時に通ります。ここまではわかりますよね。
電子でこれをやるとどうなるか。当然、電子(光を含む量子)は「波」の性質を持つので、バックスクリーンに干渉縞(干渉によっておこる縞模様)ができます。どういうことかと言うと、「波」を2つのスリットに向けて放つと、スリットを通り抜けたあと、それぞれ2つのスリットから新しい波が2つひろがっていきます。水面の波を想像してください。波紋がひろがり、障害物(水面に浮かんでいる葉など)に当たると、新しい波紋がそこからひろがりますよね。2つのスリットから新しい「波」が2つ生まれ、それらの波が干渉しあって、縞模様がバックスクリーンに映しだされます。イメージではこんな感じです。
そして、電子は「粒子」の性質も持つので1個1個、個別に飛ばすことができます。電子を1個だけ飛ばすとバックスクリーンには電子が衝突した痕跡が1個だけ残ります。ここまでも大丈夫ですよね。電子(量子)を大量に放つと「波」としてバックスクリーンに干渉縞を残し、1個1個放つと「粒子」としてバックスクリーンに1個1個の痕跡を残す。何もおかしくありません。
二重スリット実験の肝はここからです。1個1個の電子を時間をあけて飛ばすとどうなるのか。最初は1個、また1個と電子の跡がバラバラにバックスクリーンに残ります。しかしこれを続けると、なんとバックスクリーンに残る電子の痕跡は徐々に干渉縞を形成していくのです。
これ、とんでもないことなんです。最初にご説明したとおり、「波」としてバックスクリーンに干渉縞を形成するには、2つのスリットを同時に通り抜ける必要があります。同時に通り抜けるから、2つのスリットから生まれた新しい「波」がそれぞれが干渉し合って、干渉縞を形成するのです。電子1個1個を飛ばすということは「粒子」として2つのスリットのうちどちらか片方だけを通り抜けているはずです。「粒子」なのに2つのスリットを同時に通り抜けるなんて不可能ですよね。
時間をあけて1個1個の電子を発射した二重スリット実験の結果をまとめるとこういうことです。
- 1個1個の電子の「粒子」としての痕跡がバックスクリーンに残る。
- 電子を発射し続けると、なぜか「波」として2つのスリットを同時通り抜けないと発生しない干渉縞がバックスクリーンにできる。
という奇妙なことになってしまったのです。信じられないでしょうけど、これが二重スリット実験の結果です。もちろん何回でも実証することができます。
コペンハーゲン解釈
二重スリット実験の結果をどう解釈したらいいでしょうか。様々な議論が巻き起こるなか登場したのは量子力学の解釈、つまりコペンハーゲン解釈と呼ばれるものです。コペンハーゲン解釈では電子の持つ「波」の性質を、確立の「波」と解釈します。干渉縞の濃いところは電子が観測される確立が高いところ。薄いところは電子が観測される確立が低いところ。
観測される前の電子は確立の「波」なので、2つのスリットを同時に通り抜けることができますが、バックスクリーン上では1個1個「粒子」として観測されるという解釈です。こう考えるとすべての辻褄が合います。そして、この確立の「波」を計算し、どこで電子(量子)が観測できるかという確立を求めるのが量子力学です。
さて、ここにきてようやく光の二重性の意味がわかってきたと思います。光の「波」とは光量子がどこにいるのかの確立の「波」であり、観測されると「粒子」になります。これこそが光の二重性の意味なのです。
ただ、コペンハーゲン解釈はこれまたとんでもない代物なんですね。「粒子」として観測される前の電子は確率の「波」として存在している。これがコペンハーゲン解釈ですが、これは単に「粒子」として観測されるまでは、電子がどこにいるのかわからないということではありません。電子は観測されるまで、本当に確率の「波」として存在しているのです。だから2つのスリットを同時に通り抜けることが可能になります。つまり、僕らが観測してはじめて電子は「粒子」の形をとるということです。まるで可能性の波が観測によって一点に収束するかのように、「波」から「粒子」に変わるのです。僕らが観測しないかぎり「波」なのですが、観測すれば「粒子」になる、これが光の二重性の正体でした。
ちなみにアインシュタインはコペンハーゲン解釈に納得がいかず、「神はサイコロを振らない」という有名な言葉を残しています。世界の根源が偶然性によって決まるなんて認めたくなかったようです。光の正体が確率の「波」であり、同時に観測によって姿を現す「粒子」なんて、どうにも変な感じがしますよね。しかし、確率の「波」を波動関数として計算するシュレディンガー方程式は正しい答えを出すのです。直感よりも事実を優先すべきなのでしょう。
光の二重性の第一人者であるSteinbergがとても良い言葉を残していますので、最後にこちらをご紹介して筆を置きたいと思います。Steinbergは光の二重性における研究でphysicsworld.comの2011年の物理学上のブレイクスルートップ10のなかで見事No1に輝いた実績を持つ研究者です。
波と粒子の二重性は量子の世界を説明する人工的な方法にすぎないとSteinbergは語ります。
「私たち研究者はすでに量子が実際どういう振る舞いをするのか数学的な理論を構築しています。しかし我々人間は、このケースではまるで水面の波のようだね、とか、しかしこのケースはまるでビリヤードの球のようだ、などと類推したがる傾向を持っています。しかし量子は水面の波でも、ビリヤードの球でもありません。
私たちは自分が抱いている質問を厳格に定義するよう気をつけなければなりません。たとえばプールで2つの波が交わったとしましょう。私がその水を手のひらですくい取って、あなたに「この水分子はどちらの波のものでしょう?」と聞いたとしても答えなんかありませんよね。
答えがないのは、質問が正しくないからです。水の波の物理学に何か深遠なる謎が隠されているからではありません。
イーロン・マスクも言っていますが、正しい答えを見つけるより、正しい問いを見つけるほうがずっと難しいということですね。正しい問いさえ見つかれば答えはすぐ目の前にあります。正しい問いを見つけるために実験を繰り返し、まだ見ぬ世界を探索することが大事なのでしょう。